春の陽ざしは暖かい。青く澄みきった空にはひとつの雲もかかっておらず、自由な鳥たちが高い声を上げてどこまでも続く空を翔けてゆく。太陽が南中する時刻には息をするのも億劫になる暑さだが、朝のうちは過ごしやすく、城下の市も活発なころだ。とくに、こんな晴れた日なら……

「コレ。姫さま」

声のしたほうを振り向く途中で、サライアの視界を火花が散った。あとから鋭い痛みが脳天を駆け抜け、思わずつむじを押さえて呻く。

「いっ……た~い!」
「ほほほ……授業中によそ見とは、感心いたしませんぞ」コツンと杖を床につく。
「叩かなくてもいいじゃない……」
「叩かれるようなことをするから、叩かれるんですな」

老師はサライアに背を向け、部屋の正面にしつらえた黒板へと戻ってゆく……城の離れに建てられた勉強用の塔は南向きで風通しがよく、眠気を助長する空間だ。でも、またぶたれてはかなわないので、顔を引き締めて教科書と老師に向き合う。かれはちょっとサライアにほほえみかけたあと、「いい天気ですな」と、窓のほうを見た。

「この空は果たして、どこまで続いているんでしょうかの……わが国、クウィースタルス王国は建国145年の国……東のほうには学問の国、ヴォルガ帝国と山に囲まれた国、ガクがあります。砂漠を超え、ずっと北にゆけば海がある……西にはおおきな山があるが、海の向こうも、山の向こうも、まだ誰も見たことがないという……」

バサバサッと音を立て、また鳥が一羽、窓を横切っていった。

「すべてを知っているのは、鳥たちだけかもしれませんな」
「1日でいいから、鳥になれる魔法とか、ないのかしら。ねえじいや……じゃなくて、先生、神話の世界には魔法があったっていうけど、今でも魔法使いはいるの?」
「姫さまの考える魔法というのは、雷を落としたり、竜を出現させたりするものですな。そういったちからを持つものは、もうついえてしまったと聞きます。いたとしても、隠れ住んでいるでしょう……魔法がかつて悲惨な戦争に利用されたことは、国の学者から学者へ、伝え聞いておりますぞ。大昔、わが国もヴォルガ帝国と刃をまじえた。姫さまが生まれて間もないころも、帝国とガクのあいだに戦争があった。人間は、自分にない力を武力によって奪おうとする……」

老師は、顎にたっぷりとたくわえたひげをもみ、糸のような目のあいだからサライアを見た。

「姫さまは、よい女王になってくだされ。それが、老い先短いこの爺の最後の願いじゃ」

ピンと張った両翼で風を切り、鳥たちはどこまでもゆく。クウィースタルス王国は、この大地にかまえた3国家の中で、いちばん領土のおおきな国だ。王都「クウィース」を囲むように、東に「フォート」西に「ウェルネス」南に「フェブリル」北に「アルジェント」の5つに領土をわけ、統括させている。今はおおむね平和だが、問題もある。北から東へ広く伸びるアルジェント領は、そのほとんどが砂漠に覆われており、広大で厳しい気候の砂漠では、生き抜くため法などあってないようなものだった。数多くの盗賊団が根城を転々としながら略奪を繰り返す。盗賊団を根絶させること……それが、クウィースタルス王国に課せられた課題のひとつだ。

(いい王女になる、か……)サライアは考える。(私がいい王女になったとき、それはあいつらにとって歓迎できない未来になるのかもね)


強い風が吹く。風は砂を吹き上げ、砂丘を削り、また気まぐれにどこかへ積み上げる。粒子の小さな砂は金とも銀ともつかぬ色あいで、青空を煙らせた。それをまた、風がかき消していく。砂の海のはじまりなどとうに見えず、終わりもまだ見えない。どこまでも続く2色の景色……でも、やがて地平線にうっすらと緑が見えてきた。ちいさな草花、背の低い木々、泉のありか。砂漠のオアシスだ。木々のあいだに、遊牧民族たちが使う大型のテントや見張り台があり、ちょっとした集落感があった。砂埃を上げながらやってきた十数名の男たちは、オアシスの目の前で立ち止まる。ひげ面の男が、声を張り上げた。

「【レグルス】! 今日という今日はお前らを根絶やしにしてやる……覚悟しろ!」

返事はない。

「おーい! 誰もおらんのか!」
「聞こえてるよ……」

心底だるそうな声とともに、青年がひとり、テントから出てきた。目の覚めるような真っ赤な布をひきずりながら、あくびさえしつつ緩慢な足取りでやってくる。

「誰?」眠気眼をこすりながら、ひげ面の男に尋ねる。
「おまえが【レグルス】の頭領・ホークだな!俺たちは盗賊団【タランチュラ】だ!」
「何か用?」
「だ、だからお前らを根絶やしに……」
「できなかったら?」

ホークが訊く。

「俺たちが負けたらここをあけ渡すんだろ? あんたらが負けたら? 俺たちになんか得はあんの?」
「こンのガキ……ナメやがって……!」

ズラッ……と嫌な音を立てて、ひげ面の男が半月刀を抜いた。油を塗ったようにギラギラとした刃が強い日差しを照り返し、ホークが目を細める。それを合図に、周囲の男たちも次々に抜刀した。ホークはかれらを見回す。

「もし、あんたらが負けたら……カネになりそうなものはぜんぶ置いていきな。それなら、勝負に乗ってやるよ」
「上等だ! 行くぞ、お前ら!」

野太い声が上がり、【タランチュラ】の男たちがホークへと襲い掛かってくる。かれは左手で腰を探り、赤布のあいだに隠していた剣をつかんだ。振り払った布が宙を舞う。

「死ねえ――っ!!」

男が頭上めがけて振り下ろしてきた半月刀をヒラッと右にかわす。追撃は止まない。ホークを追って薙ぎ払ってきた次の一撃を、左手と右手でそれぞれ柄と鞘を支えた剣で受け止めた。お互いのちからに交差した刀身が震え、ギリッと音を立てる。砂を踏みしめながら周りにも視線を走らせると、当然だがもう囲まれる。

「どうした! 避けてばかりか!?」
「数で攻めてきたのはそっちだろ!」

ちから任せにひげ面の男の半月刀を押し返すと、砂に足を取られた敵は数人を巻き添えにして倒れた。でも、すぐに次の敵がホークめがけて剣を振り下ろす。ひとりめの腕を鞘で打ってかわし、ふたりめの攻撃をしゃがんで避ける。ガラ空きになった背中めがけて、次の敵が剣を振り上げる――

「ホーク!」

声とともに、ホークを狙っていた敵は強烈な跳び蹴りによって倒れた。右手をついて砂に着地したのは、ねずみ色の髪を後ろで縛った体格のいい青年だ。

「助かったよ、ザイル!」
「油断しちゃダメだ!」

お互いの背中を守るように体勢を整え、短い言葉を交わし合う。そしてまた、すぐに敵陣へと向かっていった。敵は十数人。依然、不利な状況だ。敵はホークを狙い、数で押してくる。3人がかりで刃を向けられては、避けることしかできない。真横に振り抜いたひとりめの攻撃を跳んで避け、勢いで蹴倒したふたりめを踏んで抜ける。そこにもまだ、敵が待っている……どう切り抜けようか、一瞬思考と動きが止まる。相手の剣が振り下ろされるのが、ホークにはスローモーションに見えた。

ヒュッ……と鋭く風を切る音。次いで肉を打つ耳に悪い音がして、敵の悲鳴とともにホークを狙っていた刃は払い落とされた。黒い影が弧をえがいて頭上を抜けていき、その先にヒョロッとした長身の青年がいた。右手のウィップをもう一度振って、笑う。

「俺と戦らない?」
「僕とも遊んでよ!」

可愛らしい外見に似合わないナイフを構えた金髪の少年も、風のように敵陣へ突っ込んでいく。形勢が変わってきた。ホークは剣を抜く。美しい刃が日光を浴びてあやしくきらめく……無意識に、死のにおいを恐れた敵が数歩、後ずさった。

「斬られたいやつは来な! 錆くらいにはしてや……」
「ホーク! 危ない!」
ビュッと風を切る鋭い音が聞こえ、少しあとに左耳がじわっと熱くなった。すぐに、ホークと対峙していた敵が腕に矢を受けて上げた悲鳴で、このあぶない射手の正体が分かる。ホークは振り返った。

「危ねーじゃねーか! ジェス!」
「ごめん……ホークなら避けるだろうと思って」

見張り台から弓を構える、バンダナを頭に巻いた少年は困った顔をした。

「くそっ……このままじゃやられちまうぞ……!」

【タランチュラ】のかしらは悔しそうに歯噛みし、

「おい、お前ら! このまま手ぶらで帰るのも癪だ。奴らのアジトに潜りこんで、なんか金目のもの、かっさらって来い!」
「わかりやした!」

命令を受けた手下が数人、ガラ空きに見えるテントのほうへ向かっていった。

「当たり前ですけど、どこに金目のものがあるのか、わかんないですねえ……」
「俺たちはこっちを探すから、おまえはそっちを探せ!」
「嫌ですよ! ひとりにしないでくださいよお!」
「ゴチャゴチャ言うな!」
「ふふふっ」

どこからか、楽しそうな笑い声が聞こえた。手下たちは一瞬顔を見合わせたあと、あたりを見回す……でも、人影は見えない。

「誰かいるのか!?」
「こっちだよ。こっちこっち」

男だろうか。女だろうか。不思議な声のするほうへ誘われると、ふんわりとしたヴェールがものかげに隠れるのが見えた。

「女か!? 女がいたんだ! よぉーし、女を人質にとるぞ!」
「そんなヒキョーなマネ、【タランチュラ】の名がすたるッス!」
「でも、このままじゃ俺たちみんな殺されちゃう!」
「こっちだよ」

ものかげから白い手が招くほうへ、手下たちは剣を構え、息をひそめて向かった。あと3歩、あと2歩……鼓動の高鳴りとともに、のども渇いていく。
ふわっと煙草のにおいがし、ジュッとなにかが焼ける音がした。なんだろう? と思う間もなく、バチバチバチッ! となにかがはじける音とともに、足に鋭い痛みが走った。

「いたたたたっ! なんだこれはっ?!」
「火花だ! 服に火がっ……」
「燃えちゃうッス~~~!」

ひとしきり痛がったあと、手下たちはもと来た道を脱兎のごとく駆け出していった。「ふふっ」と、肩を揺らせて青年が笑う。頭からヴェールをかぶったすがたは、女性のようでもあった。

「連中がおバカで助かったぜ。まさかあんな子どもだましに、かかるとはな」

花火の燃えカスを見て、珊瑚色の髪の男が呟く。種火に使った煙草を拾い上げて、もう一度、ふかした。


「頭領~~~! なんかよくわかんない罠にやられちまいました~~~!」
「なにぃっ……クソッ、ここはいったん引くぞ! 全員、撤収~!」
「あっ……! おい待て、金目のモノ置いてく約束は……!?」

ホークの声に目もくれず、【タランチュラ】のものたちは砂埃を巻き上げ、逃げていく。

「まあ……いいけどさ……」

腹のどこかが納得しない顔で、ホークは呟いた。

鳥が一羽、上空で甲高い声を上げる。


end 20150526